| ■2004年10月23日
17時56分 その時以来私は、新潟県中越の被災地に向けて、 配信するメルマガでこんなメッセージを発信しはじめた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ まもなく最低限のインフラは回復するでしょうが、 仕事の環境が元通りになるまでには時間がかかるでしょう。 仕事の環境は整っていない、しかし、お店や商売の宣伝はしなきゃならない。 とお困りの被災地の方に、無料で販促・広告コピーづくりをいたします。 他にもいろいろとお手伝いできることがあるかもしれませんね。 もしメール、ファックスが使えるようでしたら、どうぞご一報ください。 mailto:hiramekilab@osekkaiz.com fax. 03-5458-4835 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 旅立つ若者。 その後も、私はまとまらないままに考えつづけていた。物資、義援金などの「緊急支援」から、商売を含めた「日常生活の応援活動」への移行期に入ったとき、デスクに張りついているボクにも、クリエーターという得意をいかしてお役に立てることはないか、と。なぜなら、緊急支援の時期が終わるとマスコミの取材情報がとだえ、急速に忘れられがちであり、しかしながら、復興への本当のたたかいはそのときはじまるのだから。 すると、ある日、1本の電話が。 その主は、私が創造力の育成を目的としたバーチャル研究所「ひらめきラボ」を開設してメルマガをはじめたとき、 > 日々の業務だけでもお忙しいのに > こんな無給の知的労働まで、本当にお疲れ様です。 > おせっかい塾、その他でぼくがそのご多忙な毎日を少しでも助けられそうなら、 > いつでも遠慮なくおっしゃってくださいね。 > それをもって(メルマガの)購読料に代えさせていただきます(笑)。 > お体にはくれぐれも気をお付けください。 とメールをくれた、大学院で環境科学を学ぶ「代官山おせっかい塾」学生スタッフの高橋隆輔くんであった。 「8日からボランティアで小千谷に入ります。 菊池さんの呼びかけを現地で伝えてこようと思うのですが・・・」 おお、なんとまばゆい若者なのだろう!!!その行動力に後押しされ、電話で話すうちに、私のあたまにはおぼろげながら次のような企画アイデアができあがっていった。 ・「現地の情報を全国により広く知らせる」ために、インターネットのノウハウなどのリソースを活用する。 ・遠隔地からの支援形態として「情報ボランティア」モデルを確立し、全国の人が支援しやすいしくみをつくる。 ・運営は、NPO代官山おせっかい塾のボランティア・アクティビティとして無償で行われる。 私たちのきもちのかたち。 > お久しぶりです。 > 無事、小千谷より戻ってまいりました。 やがて、隆輔くんが現地ボランティアを終えて帰ってきた。 > 無事といいつつも現地では体調を崩し、生まれてはじめての気絶、、、 > 血圧も下が40を切り、と大変な思いをしながらでしたが。 お帰り!現地では大変な思いをしたらしいが、それでも元気な様子に安心する。彼から現地のニーズを聞くにつれ、そして、彼の「研究しているフェアトレードの考え方を生かせないか、と思っているんです」ということばに強く触発され、おぼろげながらの企画イメージははっきりと輪郭を持ちはじめた。 全国の人が被災地の物産を買うことで復興を支援する。 それを呼びかけるためのホームページをつくろう! > 学生生活最後に大きな形が残せるといいな、と思います。 という彼のことば通り、ボクの思いと隆輔くんの大学院での研究成果がリンクして思想的な背景も固まり、私たちの「思い」は「かたち」になっていった。 ちょうど、松山真之介さん配信のメルマガ「Webook of the Day」の中で、ペイフォワードという映画が紹介されていた。「もし君たちが世界を変えたいと思ったら何をするか」という、11歳の少年トレイバーが社会科の先生から出された宿題から物語が始まり、トレイバー少年が考えた「ペイフォワード(先にまず贈る)」という考えが、やがていろんな場面 で広がり、与える愛の行動が世界を変えていく、という映画だ。そのとき私たちは、まさしくトレイバー少年だった。 |
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| ■2004年12月23日 雪国へ。 |
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| 23日の祝日、目指すは小千谷。東京駅から上越新幹線に乗りこむ。越後湯沢の手前で、トンネルを抜けると、ほんとに雪国だった。駅に降り立つと、雪が本降り。シンシンと冷えこんでいる。九州育ちの隆輔くん、その薄着では寒かろう。そこからは、越後湯沢で買いこんだ駅弁など食べながら、在来上越線でのんびり小出まで。疲れたボクの目をいやしてくれる、新鮮な車窓。コシヒカリの田んぼも真っ白。木々はクリスマスツリーのようだ。
小出からは、代行バス。2台連ねて走り出す。景色を眺め、信濃川が現れると大騒ぎし、隆輔くんとおしゃべりしているうちに、閉鎖されている小千谷駅に着いた。トータルで約4時間半。昨夜は2時間しか寝ていなかったが、「希望」のせいか、不思議に疲れを感じない。寒さはさほどでもない(何しろ、釣り用の防寒下着なのだ)。雪も小降りになってきた。駅前からつづく商店街は、ほとんどシャッターをおろしている。はて、お休みなのだろうか。4時までに1時間ほどある。旅館に向かうには、まだ少し早い。どうするか。 見回すと、駅前にきれいなおそば屋さんがあった。明かりがついて、営業している(ほっ)。小千谷といえば、「へぎそば」だ。長方形の板(へぎと呼んだ)に、一口で食べられる量 のそばを並べて食べたのがはじまりという。被災地支援は、まず現地を知ることから。やはり名物を食べないとね。「雪国まいたけ」の天ぷらもたのんだ。若者がほおばる。それをながめる、いい時間。 |
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| 納得のスタートをきって、次はとなりのおみやげ屋さんをのぞく。あれこれ見ていると、
「支援の方ですか?ありがとうございます・・・」 ・・・笑顔がいいお店のおかあさん。後で思ったが、小千谷の人はみなその心持ちのようだ。「いえ、おたがいさまですから」とお答えした。被災地支援は、まず現地で物を買うことから。と、いくつかを買いこむ。なかでも、ずんぐりとしたかたちのしめったおせんべ「しっとりもち・柳都(りゅうと)」はかなりの傑作。触感が不思議。うまくて、これはくせになりそう。つくっている「雪国あられ株式会社」というネーミングも、チャーミングだ。 水辺の宿。 いくつかの名物を買いこんだ後、駅からまっすぐつづく商店街に足を向けてみた。雪は、やんでいる。道には積もっているが、商店街はアーケードがあるから歩くのに問題ない。 いや、あった。アーケードのとぎれたところへいくと、雪の上で、隆輔くんがアッとかギャッとか叫んでいる。 「おや、スケートかい?」 「いえ、この靴、すべるんです......」 平らな靴底では、雪国はきびしかろう。ま、そのうちなれてきて、上手に歩いていたが。 川が見たい。二人は、信濃川にかかる橋を目指している。商店はほとんどがシャッターを降ろしていて、お休みかと思ったが、ところどころに「仮設住宅連絡先」の張り紙があるから、見た目以上に家の中は被害が大きいということか。信濃川をながめたころ、そろそろ旅館に向かう時間だ。タクシーを拾おうか。道を流しているタクシーはいない。駅までもどり、客待ちの1台に乗りこむ。 「篠田館までお願いします」 旅館さがしは、かなり苦労した。インターネットで調べてかたっぱしから電話したのだが、支援者を受け入れていてほとんどが一杯。ようやく見つけた宿だ。 (どんなところだろう) タクシーは中心街から離れて、信濃川の方に向かう。いい予感。駅から約10分、着いたのは、信濃川のほとりにあるひっそりとした宿だ。水辺が大好きなボクにとっては、思いがけなく大正解であった。古くからの湯治場という風情。やさしいおかあさんに迎えられる。近所の人たちだろうか、「お風呂、お借りします」とやってくる。これも、困ったときの、助け合いだね。 前夜が2時間睡眠だったこともあり、夜8時には寝てしまった。その夜の地震さえ、気づかなかった(ケータイの留守録、心配した東京からの電話ではじめて知った)。隆輔くんは、眠れなかったらしい。明日はいよいよ、小千谷の物産を集めた小千谷市産業開発センター「サンプラザ」に向かう。 |
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| ■2004年12月24日 |
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出会い。 ぐっすり眠れたから、気持ちが軽い。隆輔くんは、眠そうだがね・・・。朝9時40分、たのんであったタクシーに乗りこみ、小千谷市産業開発センター「サンプラザ」に向かう。「サンプラザ」には小千谷を中心に新潟の名産品が集められており、販売もしている。花火、錦鯉、小千谷ちぢみ、日本酒、コシヒカリなどなど、地場産業や物産を集約・展覧して、地域の振興を担っているところだ。立派な建物には食事処(ここの料理、とてもおいしい!)も完備され、インターチェンジから近いこともあり、旅の中継地点としても人気が高い。 隆輔くんがアポイントをとっていた、センターの事務局長、阿部秀明さんにお会いする。お見舞いをいったあと、ボクらの企画を説明すると、とても喜んでいただいた。阿部さんから、被災地の現状と復興への思いを伺い、小千谷のために、そして大きくいえば、「被災地支援の新しいしくみづくり」のために、この企画をなんとしてもがんばらなければと決意をあらたにする。 サンプラザの内部や(お米には少々うるさいボクは、魚沼産コシヒカリも忘れず買いこんだ)、となりに建っていていまは閉鎖中の「錦鯉の里」にもご案内いただく。ふだん釣り場で鯉はみなれているが、名鯉「コニシキ」の大きさにはおどろいた。帰ろうとするころ、著名マンガ家のみなさんによる巨大な寄せ書き「がんばれ小千谷」が到着し、サンプラザの壁に飾られた。写 真をとり、資料をたくさんもらい、来年春には「被災地の復興を応援する情報ボランティア・サイト」をオープンすることを約束して、サンプラザを後にする。外に出るとまた雪が降り出していたが、気持ちはあたたかだった。 |
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| ■2005年1月22日 |
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おせっかい会議。 その日は、中心的なメンバーが集まっての決起大会。菊池省三先生の参加で、早くも、北九州の香月小学校5年生63人が書いてくれた「きもちのかたち」=ハートの絵が寄せられていた。その自由さ、色使い・・・こどもたちの創造力にはおどろくばかりだ。そしてそれが、このプロジェクトの、実質的なスタートの日となった。 |
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| 被災地支援のまったく新しいしくみづくり・・・ 「新潟県中越・小千谷の復興を応援する情報ボランティア・サイト」は、こうしてはじまった。 あなたがやらなくても、ボクはがんばる。 でも、いっしょにがんばれたら、うれしいね。 ......明日では、間に合わないかも知れないから。 |
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